中島らも「今夜すべてのバーで」

昨夜、昼間寝すぎて眠れなくて、
中島らも「今夜すべてのバーで」を読み終わった。

アル中を脱却するようなしないような。

僕は、めちゃくちゃな飲み方でもないが、
(といっても、引っ越す前、すなわち1年半前くらいまでは
かなり飲んでたよな。)
アル中になりやすい飲み方と言う意味では、まさに自分もそう。
すなわち、どちらかというと、
好きでのむというより、酔うために飲む。
精神的依存は明らか。
うまい酒を飲めば確かにうれしいのだけど、
通常は、味わうためでなく、酔うために。

自分が特別って想いは、
結局子供なのだと、大槻ケンジがはっきり告げてくれているけど、
それがわかっていてもやはりぬぐいきれていないのだろう。
だいたい精神分析とか、自分をわかったって
それですべて解決するものではないだろう。

たまたま、そのあと続けて読んだ角田光代の作品で
学生の頃、転校を続けていて、そのことがイヤで、
今住んでいる町でずっと住んでいたように
記憶を作り変えようとして、ある程度成功した人物が出てきた。
その人は、その後、自分の居場所や、妻が、
一瞬、ほんの一瞬だけだけど、
どこだか、誰だかわからなくなると告白する。

人間の細胞は20年もすれば完全に入れ替わると聞いた。
(もしかしてもっと速いのかな?)
でも、角田光代のその人物もちょこっと語っているけれど、
人間がその人であるということは
記憶の連続性のみによって支えられているのではないだろうか。

なんか、今思いつきだけど、
自分が酒を飲むのは、
記憶の連続性を一瞬でも断絶させるためのような気がする。